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12月巻頭言 「最大の遺物」

毎日のみことば12月号巻頭言
主任牧師 池田恵賜

最近、「都市プランナー田村明の戦いー横浜<市民の政府>をめざして」(田村明著・学芸出版社)を読みました。田村明氏は、昭和38年に当時の政令指定都市では最年少で市長に当選した飛鳥田一雄氏とともに現在の横浜をデザインした人物です。

当時の横浜は、主要産業の港湾事業地が米軍に接収されたままで経済的にも疲弊し、都心部は廃れ、郊外は宅地開発業者が何の計画もなく乱開発し、危険で不便な住宅地が増えているような状態でした。そんな横浜を「誰でも住みたくなる街」にすべく、当時まだほとんど知られていなかった都市プランナーである田村氏に白羽の矢が立ったのです。

昭和30年代、すべての機能は東京に集中し始め、人も消費も東京に流れ、単なる大企業の物流の中継地点でしかなかった横浜の土地の価値を高めるために、商業、工業、住宅など都市全体を総合的に計画し直す必要がありました。

田村氏は、飛鳥田市長や市の幹部らと話し合い、横浜再生のための「6つの戦略的プロジェクト」を打ち出します。それらこそ、「(1)みなとみらい地区強化事業、(2)金沢区の埋め立て事業、(3)港北ニュータウン整備事業、(4)幹線道路・高速道路事業、(5)高速鉄道(地下鉄)事業、(6)ベイブリッジ建設事業」でした。

縦割り行政の弊害や既得権や利権の絡みもあり、田村氏は抵抗勢力からの反対に直面しました。詳細は本に詳しく記されているので割愛しますが、田村氏はあきらめずに政府、役所、民間企業の調整に奔走し、これらの事業を成し遂げます。

彼は、「都市プランナーは未来の市民のために仕事をするべき」という信条を持って、どんな困難に直面しても決してあきらめずに希望を持っていました。そんな田村氏は無教会派のクリスチャンで、内村鑑三の著書「後世への最大遺物」を大切に持っていたそうです。この本には、このように書かれているところがあります。

「われわれに邪魔があるのはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほど、われわれは事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。とにかく反対があればあるほど面白い。われわれに友達がない。金がない。学問がないというのが面白い。われわれが神の恩恵を受け、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。われわれが熱心をもってこれに勝てば勝つほど、後世への遺物が大きくなる。」(内村鑑三著「後世への最大遺物」)

「神がともにいて事をなしてくださる」。向き合う事柄が困難であればあるほど私たちの神への信仰が浮き彫りになり、それが証しとなって後世にまで神の素晴らしさが語り継がれるのだと内村鑑三は言うのです。

このことばを握った田村氏は、後世への遺物として、この横浜の街を祈りと信仰の証しとして建て上げました。それはいまの時代、この街に生きる私たちがこれらの信仰の遺物を用いて、神の栄光の働きを継続するためであると考えます。

一年を締めくくる12月です。この一年を振り返り、新しい年に向け主に期待しつつ、私たちも自分のためにではなく未来の世代のために神と共に働いて、信仰の遺物を残していきましょう。

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