お知らせ

2024年5月26日 よろこび ひろがる リバイバル

2024.5.26 創立60周年記念セレブレーション「よろこび ひろがる リバイバル」
イザヤ書 32章15節 池田恵賜 主任牧師

セレブレーション映像正式版

固定カメラ仮映像

下記の動画は、固定カメラで撮った仮のものです。別の機材で撮影した2つのバージョンを載せておきます。

■動画1(カメラ1)

■動画2(カメラ2)
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2024年5月26日 よろこび ひろがる リバイバル
イザヤ書 32章15節 池田恵賜 主任牧師

本郷台キリスト教会の創立60周年を、このように多くの皆さまとともにお祝いできることを、心から嬉しく思います。みなさま、本日はご来場いただき感謝いたします。私は本郷台キリスト教会の主任牧師をしています、池田恵賜です。

本郷台キリスト教会に集う私たちにとって、大切な節目となる60周年を、ここまで支えて来てくださった方々や、地域の方々とともにお祝いしたいと考え『60周年記念セレブレーション』というタイトルをつけました。「セレブレーション」―お祝いのときとして、私たちとともに喜びを分かち合っていただけましたら幸いです。また、この「セレブレーション」が、みなさまにも、私たちクリスチャンが信じている神様がどのようなお方か、ということを少しでも知っていただける機会となるなら嬉しく思います。

小さいお子さんからご高齢の方まで、また普段教会に来ている方からそうでない方まで、どのようなプログラムにしたら、みなさんで楽しく、ともに過ごすことができるのか、1年前にこちらの会場を確保してから今日まで、準備委員会メンバーが日夜集まり、考え、準備してきました。みなさま、ここまで楽しんでいただけていますでしょうか。神様にすべての栄光と感謝をおささげします。 

さて、私たちの教会では毎年、聖書からその年の指針となるみことばを1つ、祈りつつ選んでいます。今年はイザヤ書32章15節のみことばです。みなさんで、ご一緒に読んでいただけますでしょうか。 

“しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。”イザヤ32:15 

素晴らしいみことばです。ここに書かれている「霊」とは、後で少し触れますが神様のことです。神様が来られると荒野が果樹園となり、森と見なされるようになるという約束のみことばです。今日の舞台は、このみことばから「森」をイメージして制作しました。みなさんは、このみことばを読んでどう思われたでしょうか。 

実は、私は今年のみことばとして、この箇所を読んだとき、初め少し違和感を覚えたんです。その違和感がどこから来ているのか分からなかったのですが、静かに思い巡らしていたときに「果樹園が森と見なされるようになる」という部分に引っかかっているんだということに気がつきました。

「荒野が果樹園になる」というのは素晴らしいことです。 それまで何の実りもなかった荒野を耕し、整備して、果樹園とするわけです。果樹園となれば、毎年、そこから収穫することができます。 しかし、せっかく整備した果樹園が「森」になってしまうと、「管理できなくなり、収穫が減るのではないか」、「森は果樹園より、マイナスなのではないか」と感じている自分がいたのです。 

そんなことを神様の前で祈っていると、このようなことを語られました。「果樹園というのは管理された恵みである。果樹園では、収穫を計算することはできるが、それは働いた者が受け取る恵みだ。しかし、森の恵みはそうではない。森に入る者は誰でもその恵みを受け取ることができるのだ。そして、わたしが用意している恵みはそのようなものなのだ」と。 

賃金や報酬というのは「働いたことへの対価として与えられるもの」ですが、神が人間のために用意してくださる恵みというのは、労していない者も受け取れるものだというのです。私はこのような神の思いに触れたとき心が震えました。神様の与えようとしている恵みが、どれほど大きなものなのか、それに比べて自分の心はなんと小さいのか、ということに気づかされたからです。

さらに、この神の大きな恵みは「荒野からスタートしている」ということに目を留めたいと思います。荒野とは、どのような場所でしょう?きっと、みなさんがイメージしたとおり、荒野とは、生きるのが困難な場所です。荒野から豊かな実りを期待することはできません。現代社会にも、さまざまな荒野があります。 

お金や人間関係のトラブルから起こる事件は、毎日のようにニュースで流れています。

いじめの問題もますます深刻になっています。不登校の学生は30万人に達し、引きこもりの状態の方は140万人を超えています。少子高齢化社会も多くの問題を生み出しています。「老々介護」だけでなく、認知症の高齢者が認知症の高齢者を介護する「認認介護」も多くなっていると聞きます。孤独死の問題もあります。災害や戦争もあります。

また、それらに加えて、私たちの日々の生活の中で起きてくる問題も含めると、現代の荒野といえる状況は実に多くあるのではないでしょうか。そして、ある面では私たちの心の中にある荒野が、この社会の荒野を作り出しているともいえます。それらの問題に対して「自分は関係ない」と見て見ぬふりをすることもできます。「荒野から良いものは生まれない」と諦めることもできます。しかし、私たちは神を信じる者として、神のみことばを信じて立ち上がりたいのです。

「この荒野の状態も必ず果樹園となり、森と見なされるようになる」と信じて行動する者でありたいと願うのです。聖書のヘブル人への手紙11章1節には、このようなみことばがあります。 

“さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです” 

信仰とは「目に見えないものを確信させる」ものです。 目に見えるものを信じるのに信仰は必要ありません。しかし、見えないものを信じるためには信仰が必要です。そして信仰をもつ人たちが現状を変えていくのです。 

ウォルト・ディズニーは、フロリダにディズニーワールドを造るときにたくさんの問題に直面しました。沼地の多かった広大な敷地は、(山手線の内側の1.5倍もあるそうですが、)多額の費用をかけて土壌改良する必要があり、その開発は困難を極めました。残念ながら、ウォルト・ディズニーは完成を前に亡くなってしまいました。

しかし、彼の死後、世界最大のテーマパークは完成しました。落成式のときにある人が「ウォルト・ディズニーは、どんなにこの光景を見たかったことか」と言うと、ウォルトの兄ロイは「いいえ、弟はこの光景を見たからできたのです」と言ったといいます。

「荒野は、必ず果樹園、そして森になる」と、信仰の目をもつ人たちによって困難は克服されていきます。荒野を生み出すのも人間なら、それを変えていくのもまた人間なのです。 

「本当に大切なものは見えないのだ」と、サン=テグジュペリは『星の王子さま』の中で語っています。私たちは目に見える物質的なものに価値を見出しがちですが、それがすべてではありません。目に見えないものの中に、本当に大切なものがあります。愛も、友情も、信頼もそうです。目に見えませんが、私たちが人間社会で生きていく上で必要なものです。みなさん、「愛」と「友情」と「信頼」で結ばれた関係は、素晴らしいと思いませんか? 

「関係」も目には見えないけれど大切なものです。 

初めに読んだイザヤ書のみことばですが、「荒野が果樹園となり」と書かれている前にこのようにあります。「いと高き所から私たちに霊が注がれ」と。 

この霊は「神のことを指す」と、はじめに申しました。「注がれ」というのは、「関係が回復する」ということを表しています。つまり「ついに神との関係が回復する」と、ここでは言っているのです。神と人との関係を回復させるために来たのがイエス・キリストです。聖書の神は愛なる神です。「神の愛」も、「神との関係」ということも目に見えませんが大切なものです。この愛なる神様と私たち人間の関係が回復することによって、荒野が果樹園、そして森となるのです。

私たちは様々な「関係」の中に生かされています。人は一人では生きられません。夫婦関係があってそこに「いのち」が誕生し、親子関係の中で子どもは成長していきます。そして、人は様々な人間関係を築いて豊かな人生を送ることができるのです。 

聖書は、「神との関係が切れたため、人は造られた本来の目的を見失い、他の様々な関係も歪んでしまった」と教えています。しかし、一番大切なあなたと神との関係がイエス・キリストによって回復するとき「荒野が果樹園となり、森と見なされるように」変えられていくというのが、聖書の約束なのです。

私たち本郷台キリスト教会は、これまでそのことを体験してきました。保育園のあやエスペランサ、のあインターナショナルスクール、学童保育のあ、まってる、泉といった働きは、何もないところから生まれてきた働きです。まさに、荒野が森となって豊かな恵みを体験しています。

そして、私たちはこれからもみなさんと一緒に「森の祝福」を体験していきたいと願っています。

プログラムの「あいさつ」のページの下にあるQRコードから感想を書き込めるようになっていますので、ぜひセレブレーションの感想をお書きください。また「私の周りにこんな荒野がある」、「私はこんなことで困っている」ということがあれば、お書きください。教会で問題解決のために祈らせていただきます。みなさんの周りにある荒野は必ず「森」となります。

最後にもう一度、神様の約束のみことばを信じて告白しましょう。 

“しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。”イザヤ32:15

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