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2024年6月16日 教会とは②

2024年6月16日 教会とは②
使徒の働き5章29〜32節 池田恵賜 主任牧師

メッセージを読む

先週から「教会とは」をテーマに使徒の働きから見ています。使徒の働きの中心テーマは「福音と宣教」ということです。「福音」とは、イエス・キリストの復活により完成した「Good News(良い知らせ)」です。

福音の良い知らせは「罪を犯し滅びに向かっていた人間が、イエス・キリストの十字架により罪赦されたということ。そして、イエス・キリストを信じる者は死に勝利し、神とともに永遠に生きる者とされる」という救いのメッセージのことです。そして「宣教」とは、その福音のメッセージを人々に伝えることです。福音のメッセージはエルサレムから始まりユダヤ、サマリア、そして異邦人のいる地の果てにまで拡げられました。その際、聖霊が大きな役割を果たしています。ペテロが、福音が広がった地域に遣わされて祈ると聖霊が下ったということを先週みました。

聖霊と教会

今日は「聖霊と教会」ということに、さらに焦点を当てて見ていきたいと思います。

聖霊と教会の働きは、切っても切れないものです。教会のスタートは、まさに聖霊が下ってきたその日だったのです。イエス・キリストが天に昇り、その後祈っていた弟子たちに聖霊が下り、彼らは大胆に福音を語り出しました。そのときペテロのメッセージを通して3000人の人が救われました。これが教会のスタートです。

1. 聖霊は私たちに力を与える

「聖霊と教会」、第1のポイントは「聖霊は私たちに力を与える」ということです。使徒1:8を読みましょう。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」”使徒1:8

「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます」とあります。ここでいわれている聖霊の力を受けることのできる「あなたがた」とは、誰のことでしょうか。

もちろん、その場にいた弟子たちです。しかし、それだけでしょうか。これは、その場にいた弟子たちだけにイエス様が語られたことばではありません。なぜなら、福音はその場にいた弟子たちだけによって広められたのではないからです。福音は、その場にいなくても、その後に信仰が与えられ救われた多くの人たちによっても拡げられたのです。

ですから、ここで聖霊の力を受けることのできる「あなたがた」とは、私たちを含めたすべての人たちのことです。私たちは、一人ひとり聖霊の力を受けると、キリストの証し人と変えられるのです。

2. 聖霊が注がれる人々

次に、どのような人々に聖霊が臨み力を受けるのか見ていきましょう。もちろん、イエス様を救い主として信じ、洗礼を受けた人には聖霊が注がれています。使徒2:38です。

そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。”使徒2:38

このように書かれています。ですから、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けた私たちは皆、聖霊を与えられています。しかし、ペテロは使徒5:32bでこのようにも言っています。

神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。」”使徒5:32b

「神がご自分に従う者に聖霊を与えられる」というのです。みなさん聖霊の力を受けたいですか。聖霊の力によって「キリストを大胆に証しする者になりたい」と願う人は神に従う者になりましょう。「神様、あなたに従います。イエス様が開いてくださった素晴らしい救いの道を証しする者となれるように私に聖霊を注いでください」と祈り求めましょう。神様は求める者に豊かに与えてくださるお方です。

「神に従う者たちに聖霊が与えられる」ということですが、では、どこまで神に従えばよいのでしょうか。神が「ご自分に従う者に聖霊を与えられる」というとき、私たちはどこまで神に従う必要があるのでしょうか。

答えは「死に至るまで」です。ステパノの人生からそのことを見ていきましょう。使徒7:54-56です。

人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。”使徒7:54-56

「死に至るまで神に従う」。このことを別の角度から見るとすれば、聖霊なる神様は、死に至るまで神に従う者とともにいてくださるとも言えるのです。ステパノは殉教の死を迎えました。彼は悪意に満ちた人々に、死ぬまで石を投げつけられるというむごたらしい死を迎えました。常人ならとても耐えることのできないような死です。自分を殺そうとしている人々に激しく抵抗したり、彼らを罵ったりしてもおかしくない状況です。しかし、ステパノの殉教の死の場面はそれとはまったく違いました。そこには、何とも言えない不思議な情景が広がっていました。

この殉教の場面は、人々の憎悪に満ちた荒々しい場面と、それとは全く逆のとても静寂に満ちた平安な場面の2つを見ることができます。先ほどの続きを読んでみましょう。使徒7:57-60です。

“人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。”使徒7:57-60

ステパノの殉教の死の場面にあった2つの世界。1つは聖霊が満ちた世界です。そしてもう1つは聖霊のいない世界です。ステパノは肉体の痛み、苦しみがありながらも、聖霊に満たされ、自分を殺している人々のためにとりなしの祈りをしながら召されていったのです。聖霊に満たされた彼には、罪の世界に生きる人々の荒々しい憎しみなどは何の影響も及ぼさなかったのです。

聖霊なる神様は死に至るまで神に従う者とともにいて、守り、助け、天国へと導いてくださるのです。

ステパノの殉教の死は、それを見聞きした人々にイエス・キリストの十字架を思い出させる光景となったことでしょう。来週触れますが、この場所に後にパウロと呼ばれるサウロもいたのです。聖霊は死に至るまで神に従う者とともにいてくださいます。

先週の日曜日に私たちは田中保兄を天に送りました。5日後の金曜日には、多くの神の家族に囲まれて祝福のうちに召天式が行われました。いつも穏やかで、ニコニコしていて、多くの人に慕われた保兄でした。その最期のときも兄弟の人生の集大成であるかのような素晴らしいものでした。昨年末に「おそらく年を越せそうにないだろうと医師から言われた」と、娘さんの博子姉から連絡をいただき、正月早々の葬儀を覚悟していました。しかし、その後持ち直し6ヶ月以上を過ごされました。博子姉曰く「体は超低空飛行の状態でしたが多くの方々の祈りに支えられて、本郷台キリスト教会の60周年を見届けることができました」とのことでした。そして、多忙な博子姉の仕事の合間を見計らうかのような最善のタイミングで天に召されていきました。

召されるちょうど1週間前の6月2日のペンテコステ、まさに聖霊が降臨された日の夜に、施設のベッドで寝ていた保兄が急に起きて、お見舞いに来ていた博子姉に「書いておいてくれるか」と、ゆっくり話し始めたそうです。そのとき、博子姉が書き留めた文章がこれです。

『博先生、登喜子先生、月井先生、木島先生、
恵賜先生、佐藤先生、諸先生方
お祈り頂いた皆さま

長い間のご教示ありがとうございました。
皆さまと共に、教会の今後のさらなる発展をお祈りしつつ。
さよなら、さよなら、さようなら

See you again!
保  拝』

なんと配慮に満ちた、穏やかな人生の最期でしょうか。聖霊なる神様が、神に従った田中保兄と最期の時までともにいてくださったのです。

本郷台キリスト教会を愛し、いつも祈ってくださっていた保兄はいまパラダイスに引き上げられ、奥様や先に天に戻った信仰の友たちと一緒になって、神様に「本郷台キリスト教会をよろしくお願いします」と、とりなし祈ってくださっていることでしょう。聖霊なる神様は、死に至るまで神に従う者とともにいてくださるのです。

私たちも田中保兄の信仰の足跡を見て歩む者でありたいと願います。

3. 聖霊は福音を広げる力となる

さて聖霊が注がれる者は力を受けて、キリストの証し人となります。そして、その人を通して福音は広がっていきます。先週は地理的な広がりと、ユダヤ人、サマリア人、異邦人と民族、人種を越えた広がりについて見ました。福音は単に知識として知っている人が増えるだけでは意味がありません。福音のメッセージが伝わり、人々がそれを信じ、その信仰によって生き方が変えられることこそ福音のもつ力です。そして、そのためには聖霊の力が不可欠なのです。

聖霊が注がれた弟子たちが大胆に神のみわざを証しする者と変えられたことを先週見ました。確認しておきましょう。使徒2:411bです

すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。”使徒2:4

あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」”使徒2:11b

聖霊を受けた弟子たちは、その場にいた人たちが「分かる言語」で神の大きなみわざを語ったのです。今の本郷台キリスト教会でいうと、第3礼拝では、日本語で語られたメッセージが通訳者によって英語でも語られていたり、第2礼拝では手話通訳者によって聾者の方々にも語られていたりするということでしょうか。さらに映像に字幕をつける奉仕者もいてくださいます。

もう少し広げるなら、ジョイジョイチャペルにおいて、子どもたちには子どもたちに伝わる言語で福音が語られ、月1回のスプリングチャペルでは知的障がいのある方々に分かるように福音が語られています。そこに仕える一人ひとりが聖霊に満たされて神のみわざを語るのです。

さらに、教会の礼拝に来て福音を聞くことがないという方々にも、神の愛と福音が届くようにと願い、ふぁみりーさぽーとのあや、のあインターナショナルスクール、学童保育のあ、エスペランサ・スポーツクラブ、ふぁみりーさぽーと泉、まってるなどの関連団体では、スタッフが聖霊によって神の愛をもって仕え、福音を行動を通して表してくださっています。

また被災地での活動もそうです。東日本大震災後、支援に入った教会のボランティアスタッフに現地の方が「あなたがたの働き方を見ていると他のボランティアたちと違います。もしこの活動を続けてくれるなら私の持っている物件を無償で貸しますから使ってください」と声を掛けてくださいました。そして、その申し出を受けて始まったのが「お茶っこはうすオアシス」でした。この働きは、今石巻オアシス教会となって続けられ、福音は牡鹿半島にも広げられています。

また能登半島地震のときも、若者を中心とした本郷台キリスト教会のボランティアチームが即座に現地に入り炊き出しをしましたが、その姿を見て、現地の教会のご婦人方が感動し励まされたそうです。そして「自分たちも何かできる」と考えるようになり、被災者のために動き出そうと炊き出しの道具を買い揃えて、いまでは自主的に炊き出しに行かれているそうです。先日、私が金沢の教会に伺ったときには、現地の牧師先生方から「本郷台のチームのみなさまにくれぐれも感謝を伝えてください」と、お願いされました。また、石巻から趙先生のチームも現地に入り支援して、石巻と能登をつなげています。

さて、いまお話ししてきたこれらすべての働きの原動力となっているのは、聖霊なる神様です。先週見たようにペンテコステの後、聖霊が各地で下り福音は広がっていきました。使徒の働きを読むと分かりますが、その勢いはすさまじいものでした。そして、そのことに脅威を感じたユダヤの指導者層は再び使徒たちを捕らえて、最高法院へと引き出します。使徒5:27-32を読んでみましょう。

彼らが使徒たちを連れて来て最高法院の中に立たせると、大祭司は使徒たちを尋問した。「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに、何ということだ。おまえたちはエルサレム中に自分たちの教えを広めてしまった。そして、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている。」

しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、よみがえらせました。神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはこれらのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。」”使徒5:27-32

「福音はエルサレム中に広がった」とユダヤの最高議会が認めています。聖霊はイエスを主と告白する者に注がれ力を与え、福音を広げるのです。私たちは聖霊に満たされることを求めましょう。テトス3:5-6には、このようにあります。

神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。”テトス3:5-6

神の一方的な憐れみによって、私たちに聖霊が与えられるのです。そして、私たちの汚れは聖霊によって聖められ、洗い流されるのです。ですから聖霊に満たされることを求めましょう。

洗濯機も、もし水入れないで回しても汚れは取れないでしょう。私たちが聖められるためには、まず神の神殿とされた私という器の内側いっぱいに聖霊が満たされる必要があります。そこから、聖めのわざが始まり、あなたは刷新されて、そこから福音が広がっていくのです。

自分の周りで福音が広がっていないという方は、どうかいま、聖霊なる神様の満たしを求めてください。自分のことではなく、神を第一に求め、神に従う者となってください。洗礼を躊躇している方は神のみことばに従って一歩を踏み出しましょう。罪を示されている方は神の御前に出て悔い改めましょう。あなたが神に従うなら、神があなたの人生を導いてくださるのです。

そうすれば、神はあなたを用い、あなたを通して大いなることをなしてくださいます。いま立ち上がって神の御前に祈りをささげましょう。聖霊の満たしを求めて祈りましょう。

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