お知らせ

2024.9.29 牧会ファミリーシート

1. WELCOME/歓迎

今週も楽しく牧会ファミリーを進めていきましょう!まずは、簡単なアイスブレークで、楽しみましょう。

この一週間で、あなたが嬉しい!と思ったことを話してください。

2. WORSHIP/ワーシップ

【金や銀の冠】


金や銀の冠を 主イエスはとりたまわず
主の誉れは打たれし傷 御顔に流れる血ぞ

粗削りの木は 主イエスの王座なり
血に染む茨は 栄の冠


紫の衣剥がれて つばきされあざけられ
されど罪きよむる泉 その血にてひらかれる

粗削りの木は 主イエスの王座なり
血に染む茨は 栄の冠

3. WORD/みことば

それでは、礼拝メッセージからの分かち合いに移りましょう。牧会ファミリーでは、毎週日曜日に教会で語られるメッセージを元に、分かち合いの時を持ちます。礼拝メッセージを聞いていない方でも、大丈夫です。要約の内容からで構いませんので、積極的に分かち合いに参加してください。
今回のみことばは、マタイ10:34-39からです。メッセージを元にした要約を読みましょう。

本日は「イエスの十字架」というテーマから「担うべき十字架」に焦点を当てていきます。私たち「一人ひとりが担う十字架」という視点から見ていきましょう。(マタイ10:34-39)この箇所から、イエス様は私たちに何を教えようとしているのでしょうか。十二弟子を「宣教に派遣する」という文脈の中でこのことは語られました。イエス様は家族と敵対することを望んではいません、しかし、福音宣教をした結果そのようになる可能性もあります。逆説のようですが、ここから「神にふさわしい者」について語られたのです。

イエス・キリストを救い主と信じて生きるとは、人生の優先順位が変わることです。神が私たちを最優先にしてくださったように、私たちも神を優先順位の一番に置くのです。しかし、それは人の力では困難です。イエス様は「自分の十字架を負ってキリストに従うこと」を教えられました。私たちが担うべき十字架は「自分に死ぬ」という十字架です。これは「自我に死ぬ」という意味です。自分のプライド、考え、計画を握りしめていると優先順位が狂ってしまうのです。十字架を担う決断をするとき、神様はこのような自我を打ち砕いでくださいます。十字架は死刑のための道具です。「十字架で神に裁かれて死ななければならなかったのは自分であった。」とイエス様の十字架を自分のものとして受け止めたとき、自我に死に、人生の優先順位が変えられていくのです。(ローマ6:6-8)キリストとともに生きるために、まず「罪の奴隷であった自分」は、キリストとともに死ぬ必要があるのです。

次にイエス様は「十字架を負って」と言われました。(マタイ7:13-14)この「門」とは単なる入り口ではなく、城壁に囲まれた門です。ある牧師は「この門はとても低くかがまないと通れない門だ」と言いました。十字架を背負い、かがんでイエス様のへりくだりを学ぶのです。そして「自分に死ぬ」とは「全てをささげる」ことでもあります。私たちの持っているものすべて「いのちさえもささげる」ことを表しています。これは自分に与えられた能力、体力、財、時間、与えられた権利もすべて神にささげ、神のために用いる、ということです。「自分に死ぬ」という十字架を担うということは、自我に死に、へりくだってキリストの姿勢に学び、神を第一として全てをささげることなのです。そして、私たちは「神の愛をあらわす十字架」を担います。十字架はイエス様を死に追いやりました、しかし同時に「神がどれほど人を愛しているか」を明らかにする「愛の十字架」でもありました。(Ⅰヨハネ5:1-2)神の愛によって、私たちが互いに愛し合う者となることを神は望んでおられます。すでに救われている人へも、これから救われる人たちにも神の愛をもって仕えるのです。神の愛は、人を変えます。「神の愛をあらわす十字架」を担うとき、その愛に触れた方々に命が与えられ、変えられていくのです。
最後に「私たちはどこに向かうのか」についてお話しします。(ルカ23:26)イエス様は弟子たちにも裏切られ、一人きりで十字架を担って歩かれました。クレネ人シモンは過越の祭りの礼拝のために神殿に向かっていた何の関係もない人物でしたが、イエスの十字架を担ぎ、イエスの後ろをついて行ったのです。ローマ16章には彼の息子と母について書かれています。彼は十字架を運んだ先でイエス様の愛に触れて救われ、そして家族が救われ、ローマ教会の大切な働き人となったのです。イエス様は私たちのために、何も持たずに十字架で死なれました。それでもイエス様は十字架を王座とされ、いばらの冠を誉とされました。それは、私たちの救いのためです。イエス様の行かれるところに十字架を担いで歩いたシモンのように、私たちも十字架に現されたイエス様の愛を受けて、自分の十字架を担って従っていきましょう。

ディスカッションのための質問

  1. 「十字架で神に裁かれて死ななければならなかったのは自分であった。」とイエス様の十字架を自分のものとして受け止めたとき、自我に死に、人生の優先順位が変えられていくと語られました。今もう一度、本当にそのように生きることが出来ているか、あなたの日々の優先順位をも確認しましょう。
  2. イエス様は私たちのため、何も持たずに十字架で死なれました。それでもイエス様は十字架を王座とされ、いばらの冠を誉とされました。それは、私たちの救いのためです。イエス様の行かれるところに十字架を担いで歩いたシモンのように、私たちも十字架に現されたイエス様の愛を受けて、自分の十字架を担って従っていきましょう。応答の祈りをもって祈り、また、互いの祝福を祈り合いましょう。
  3. 今日のメッセージから受けた恵みを何でも分かち合い、互いの祝福を祈り合いましょう。

4. WORK/わかちあい

  1. 先週、ここで話し合ったことを振り返って、この一週間でどのように進んだかを確認しましょう。感謝と課題を共有し、次のステップについて話し合いましょう。
  2. この先、以下のような行事があります。牧会ファミリーとしてどのように関わる(オイコスを誘って共に参加する、一緒に奉仕する・・・など)ことができるか、話し合いましょう。
    • 9/29(日)13:00~10/5(土)17:00 いのりば
    • 10/11(金)・12(土)10:00~15:30意図的弟子づくりカンファレンス
    • 10/14(月・祝)教会創立60周年記念運動会
    • 11/1(金)19:30~21:00 ふらっとラウンジ
    • 11/9(土)13:30~15:00 みちさんぽ(横浜公園集合)
    • 11/9(土)14:00~16:00 ラブリバー秋のコンサート アカペラ&プレクリスマス(さかえすた)
  3. 新しい人がファミリーに加わるために、また、オイコスがよりしっかりとファミリーにつながるための企画について話し合いましょう。
  4. ファミリーメンバーやその家族・友人・近所の人などで助けを必要としている人について、牧会ファミリーとして協力し合えることがないか話し合いましょう。

報告フォーム

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