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2024年11月24日 祝福の基④〜ひろがる祝福〜
2024年11月24日 祝福の基④〜ひろがる祝福〜
イザヤ書 32章15節 佐藤賢二 牧師
今日は、「祝福の基」というシリーズの最終回、「ひろがる祝福」というテーマでお話しをさせていただきたいと思います。まず、御言葉に目を留めたいと思います。イザヤ32:15です。皆さんでご一緒に声に出して、お読みしましょう。
しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。
イザヤ書 32章15節
これは、今年私たちに与えられた御言葉です。
改めて、素晴らしい約束の言葉だなと思います。
1. しかし、ついに、霊が注がれる
まず「しかし、ついに」とあります。これは、「しかし、目の前の状況は厳しくても」、「ついに、神の定められた時がくれば必ずなされる」、という「神のうちにある希望」を表しています。そして「いと高きところから私たちに霊が注がれ」とあります。これは、あのペンテコステの日のように、私たちに激しく御霊が注がれ、主ご自身が力強いみわざを行われるという約束です。
では、その豊かな祝福はどこに注がれるのでしょうか。
少し、ペンテコステの日の出来事を確認して見たいと思います。
使徒1:14-15を見ると、「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。そのころ、百二十人ほどの人々が一つになって集まっていた・・・」(使徒の働き 1章14~15節)とあります。
心を合わせて祈る所、一つになって集まって祈る所に、主はみわざを表してくださるのです。ですから私たちは、失望せずに、主に期待して祈り続ける必要があります。
では彼らはどのようにして、この祈りの輪をスタートさせたのでしょうか。改めて、使徒たちとイエス様とのやりとりを見ると興味深いことが分かるのです。
まず使徒1:6をお読みします。
そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
使徒の働き 1章6節
この箇所を見ると、使徒たちはこの瞬間まで、イエス様が「自分たちが考えているような形」で「イスラエルを再興してくださる」と信じていたことが分かるのです。これは、使徒たちが、復活されたイエス様と40日過ごされた後のことです。もちろん彼らは、主の復活に驚嘆し、これからなされる神のみわざに期待していました。しかし、少しその思い描いているものがズレていたのです。
でも、イエス様は、彼らに「なんで、そんなズレたことを願うんだ」と、それ自体を否定はされませんでした。代わりに、彼らにこのように言われたのです。使徒1:7です。
イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
使徒の働き 1章7節
今がその時なのか。私たちは、今年が「10×10実現の年」だと期待して取り組んで来ました。でも、実際にその時を定めておられるのは主です。
私たちは、10倍の祝福として、1000万人の救いを祈っています。でもひょっとしたら、私たちの思い描き方は、少しズレている部分もあるのかも知れません。
もしそうだとしたら、「10×10」は、無意味なのでしょうか。見当違いなのでしょうか?いいえ、決してそんなことはありません。私は、「10年という期限を決めることは、私たちの本気度が問われるチャレンジ」であり、「10倍という規模は、私たちの常識や考え方を打ち破るようにとのチャレンジ」だったと思うのです。それを主は決して否定されません。
そして、私たちは「人の計画や努力によっては実現するものではない」ということを教えられました。特にコロナ禍のオリンピック無観客開催によって、すべての宣教のための計画が白紙に戻されたということは、象徴的なことだったと思うのです。そこで私たちは、心を合わせて祈るという方向に追いやられ、そこから流れが変わったのです。
そして、使徒1:8の約束が与えられたのです。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き 1章8節
弟子たちは、この約束を受けて、御霊の注ぎを待ち望んで祈り始めました。神様は、まず私たちに霊を注ぎ、力を与え、私たちの身の回りのエルサレムを祝福されます。そこからユダヤ、サマリア、地の果てまでと祝福を広げられるのです。祝福はひろがって行きます。神様は、私たちを用いて、私たちを通して、祝福を広げようとしているのです。
2. 荒野が果樹園に、果樹園が森に
イザヤ書の御言葉に戻ります。いと高きところから私たちに霊が注がれ、どうなるのか。
「荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされる」。
森というのは一朝一夕には出来ません。しかし、私たちは、荒野が果樹園となるように努力することは出来ます。宗教改革で有名なマルティン・ルターは、こんな有名な言葉を語ったと言われています。
「明日世界が滅びるとしても、それでも私は今日りんごの木を植える」
荒野が果樹園に変えられるためには、誰かが、りんごの木を植え続けなければなりません。私たちは、目の前の状況がどれほど困難に見えても、与えられた使命に忠実であり続ける必要があるのです。私たちは、大きなビジョンの前に、決して浮ついた思いになってはいけません。逆に萎縮してしまう必要はありません。また、思い通りにいかないとか、私がこんなことをしても、全体の必要からみれば何の力にもならないと言って、諦めてしまってはいけません。私たちは、主に信頼して、今日、私が取り組むべきことを、忠実に、心を込めて行うのです。
私たちも、今日、りんごの木を植え続けようではありませんか。
皆さんにとって、そのりんごの木とは何でしょうか?次に踏み出すべき一歩は何でしょうか。
今、皆さんビジョン礼拝の応答のために祈っておられると思います。神様は、あなたを通して、みわざを行われるのです。「私なんてたいして役に立たない」とか、「私がやらなくても何とかなるでしょう」とか、思わないでください。神様は、あなたを必要としておられるのです。見えないところで、あなたが仕えるその奉仕を、神様はすべて知っていてくださいます。そして、あなたを通して祝福が流れていき、あなた自身もさらに潤されるようになることを、神様は心から願っておられるのです。
3. 私たちの教会に対する神様のご計画
さて、今日のメッセージの後半は、「私たちの教会に対する神様のご計画」ということについて考えてみたいと思います。
私には個人的に確信し、実感していることがあります。それは、「神様は、私のことをとても丁寧に導いてくださるお方だ」ということです。たとえその時には回り道のように見えることがあったとしても、神様は必要な時に、必要なところを通され、私を訓練してくださいます。そして、私の失敗や足りなさすらも御手の中で用い、私が主の計画のために用いられるようにしてくださるのです。
この図(動画を参照)は、私が今学んでいる「アジアンアクセスの教会指導者研修」の課題で作った「自分自身のタイムライン」すなわち、自分自身の年表です。ちょっと恥を忍んで公開してしまいますが、このようにして、改めて私の生まれた時からの歩みを振り返ってみる時、神様は、私が神様と出会う前の出来事まで含めて、一貫して私の人生に計画を持っておられたということが分かるのです。
あまり細かいことには触れませんが、例えば、私は昔から、リーダーではなく、副リーダーとして私を用いておられた、ということが分かります。そして、今だからこそ、それを「なるほど」と思えるのです。このように、神様は私たちを、とても丁寧に導いてくださるお方です。主の御手の中で、何一つ無駄なことなどありません。
これは、もちろん、教会についても同じことが言えます。
私たちの教会では、これまで、「愛が結ぶ教会」「ミッション3000」「10×10」という形で、信仰によって主からビジョンを受け取って歩んで来ました。そしてそれぞれの段階において、神様は私たちに大切なことを教えてくださったのです。
(1)愛が結ぶ教会
「愛が結ぶ教会」とは、4つの愛、つまり「神を愛する」「人を愛する」「地域を愛する」「世界を愛する」という愛を中心とした教会形成です。私たちは、このことを通して、「主の愛で徹底的に仕える姿勢」と「信徒主体の教会形成」について学びました。
(2)ミッション3000
「ミッション3000」においては、「初代教会にならった教会形成」すなわちスモールグループによる牧会、そして「地域に根を下ろした働き」がスタートし、拡充していきました。
(3)10×10
そして「10×10」においては、「人の計画ではなく神の計画」ということを深く学ばされ、教団教派をつなぐ「隔ての壁を超える働き」のために用いられる機会が増えてきたように思います。
私たちは、この10月のリーダーシップチームのリトリートにおいて、これまでの歩み、特にこの10年の歩みを総括して振り返る時を持ちました。そして、神様は確かに私たちの教会に特別な計画を持って、私たちを一歩一歩導いておられると確信させられたのです。
4. ハブ教会
そこで浮かび上がってきたのが、「ハブ教会」という概念です。これは、まだ完全にまとまったビジョンではありませんが、少し、この「ハブ教会」という概念に関して、今示されていることを分かち合わせていただきたいと思います。
まず言葉の意味からですが、「ハブ」とはなんでしょうか?
ハブというのは、いろいろなものの中心となって多くのものをつなぎ、活性化させる結節点(結び目)のことを言います。例えば、自転車の車輪の中心で、そこから出てるスポークをまとめてつなぐ役割をしている部分が、まさに「ハブ」と呼ばれる部分です。
私たちの身近にある、コンピューターのネットワークをつなぐための小さな機器のことも「ハブ」と言います。今はほとんどがワイヤレスになって、この存在を知らない方もおられるかもしれませんが、このようにして複数の機器を繋ぐための中継基地のような役割を果たしているのが「ハブ」と呼ばれる機械です。
また、「ハブ空港」という言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。この写真は、シンガポールのチャンギ空港ですが、シンガポールはとても小さな国で、国内にはほとんどリソースがありません。しかし、彼らは意図的に「ハブ空港」という戦略を生み出し、多くの人が中継地として利用しやすいように、取り組んでいきました。その結果、多くの人がシンガポールに来るようになり、企業の誘致にも成功し、今やアジアを牽引する経済都市として、見事に発展していったのです。
私たちの教会は、すでに多くの面で「ハブ」としての役割を果たしています。私たちは、様々な「地域に仕える働き」を生み出し、それらを含めて「広い意味での教会」と捉えるようにしています。
これらを繋ぐ役割としての「教会」のあり方は、どうあるべきなのか。また、どのようにすれば、この「ハブ」としての役割を強化していくことが出来るのか、それが私たちの課題でもあります。
様々なものを繋ぐ、「一致をもたらす働き」という意味においても、私たちは「ハブ」としての役割を果たしてきています。
私たちが、超教派でリバイバルのために祈る「いのりば」に取り組んだことは、その象徴だと思います。
また、宣教師や宣教チームとの関係においても、「ハブ」としての役割を果たしています。いろんな人に、本郷台は宣教師との関係がとても良い、秘訣はなんですかと聞かれます。しかしこれは、本当に不思議な神様の導きによるものだとしか言いようがありません。なぜなら、私たちの側で宣教師を招いたのではなく、宣教師の側から、本郷台に来たいと申し出てきてくださるからです。だから、私たちもビザの発給や住居の手配などはしますが、あとは基本的に自由に動いてもらうのです。その結果、宣教師たちは伸び伸びと、それぞれの重荷に従って、日本の宣教に仕えてくださっているのです。
また、本郷台は、地域教会とYWAMが最も良好な協力関係を築いている場所だと言われています。
これも、私たちの教会に、たまたま宣教チームを受け入れられる場所があること、そして送られてきた宣教師たちの謙遜さによるものが大きいと思います。
ですから、これは神様からの一方的な祝福であり、そこには神様の計画があるようにと感じるのです。
また、世界的で神様に用いられている、素晴らしい器たちをお迎えする特権にも預かっています。これも、私たちが計画したというより、神様の計画のうちに実現したものばかりです。
今年1年間だけ見ても、例えば、RPGの祈りについて教えてくださったドナルド・ヤング師、メトロ・ワールドの働きで最前線で働いておられるビル・ウィルソン師、弟子育成やメンタリングで世界的に用いられているエドモンド・チャン師など、素晴らしい器たちが本郷台に訪れ、そして地域の他教会を巻き込んだ集会を行うことが出来ました。
ここにも、私たちが地域の「ハブ」となっていくという、神様の導きがあるように思うのです。
これまで見たように、神様は私たちに対して「ハブ教会」としての特別な計画を用意してくださっていると思うのです。
では、なぜ、主はこれらのことを私たちに託してくださっているのでしょうか。それは、私たちが何か優れているからとか、能力があるからではありません。しかし、もし何か理由があるとすれば、このようなことなのではないでしょうか。
一つは、「愛が結ぶ教会」「ミッション3000」「10×10」というビジョンを信仰によって受け取り、誠実に応答して取り組んできたということ。
そしてもう一つは、私たちが「主が開かれた扉には、私たちの側の都合では極力NOと言わない姿勢」を取ってきたということです。
例えば、私たちが忙しいから、ということを理由にしていたら、被災地の支援に行くこともなかったでしょう。世界的なメッセンジャーが立て続けに来ることになっても断っていたでしょう。
お金がないということを理由にしていたら、多くの宣教の働きの機会を失っていたでしょう。
経験がないということを理由にしていたら、地域に仕える働きは実現しなかったでしょう。
主が、私たちにこの大きな働きを託してくださっていることには、理由があるのです。
ですから、私たちは、働きそのものもそうですが、その根本にあるスピリットを大切にして、受け継いでいかなければならないと思います。
5. ハブ教会7つの「つ」
それでは、具体的に「ハブ教会」とはどのようなものなのでしょうか。今日は、いくつかのキーワードを説明させていただきたいと思います。つどう、つながる、つよめる、つかえる、つかわす、つづく、つくる。これが、ハブ教会の7つの「つ」です。これらは、ビジョン礼拝の応答の手引きにも書かれています。
1番目は「つどう」です。
集まることは、教会の本質です。
教会は、地域の人だけでなく、世界中のいろいろな立場・階層の人たちが集まる場であって欲しいと思います。
ですから、教会が居場所となる、教会に居場所があるというのはとても大切なことです。そのためには、少しでも集まりやすい場となるための工夫が必要です。集まるという時、大人数での集まりと、少人数の集まりの両方が必要です。ですから、「ハブ教会」では、その両方がうまく機能するようにする必要があります。
2番目は「つながる」です。
人とつながり、神とつながるということです。
また「地域に仕える働き」同士がつながったり、新しいマッチングや出会いがある場であるようにとも願っています。
そのためには、信頼関係が構築される必要があります。また、繋がることで、一人ではできなかったこと、一つの団体ではできなかった相乗効果が生まれることも期待します。
3番目は「つよめる」です。
御言葉と祈りによって信仰が強められるということです。
その時、大切なのは、ただ単に知識が増えるということではなくて、信仰もスキルも品性も、全人的にバランスよく成長するということです。そのためには、一方的に教え込まれるというより、自らが働きの主体となって仕えていくことが大切です。そのようにして、教会は弟子を生み出していく場である必要があります。
4番目は「つかえる」です。
キリストの愛をもって、教会内外で仕えます。
これは、私たちが最も取り組んできたことかもしれません。
しかし私たちは、これから地域に仕えるというだけでなく、「ハブ教会」として、人々をもてなし、人々をつなぎ、人々をつかわしていくために、もっと仕えていく必要が出てくると思うのです。
5番目は「つかわす」です。
地域に、世界に、宣教に、人々を遣わしていく教会である必要があります。
そのためには、それぞれが自分の使命と召命を見出すことができる場である必要があります。また、それをサポートする体制も必要でしょう。
6番目は「つづく」です。
これは信仰継承と、スピリットの継承です。
世間ではSDGsなんて言われますが、教会も「持続可能な働き」であることが大切です。
次世代が大切です。若者、ユース、子供たち。彼らが確実に次をになっていくことが出来るように、いつも意識し続ける必要があります。
また、つづくということは「変わり続ける」ということでもあります。
私たち自身、継続的なアップデートが必要なのです。
最後、7番目は「つくる」です。
これは、あらゆる方法で、あらゆる場所で、神の国を建て上げていくということです。
すべての働きは、神様と私たちとの共同作業です。
私たちは、神の国の価値観に従いつつ、その時代に即したクリエイティブな方法で、新しい価値を生み出していかなければなりません。
どうでしょうか。
今、駆け足で、「ハブ教会」という概念のキーワードを見ていきました。
皆さんは、どの言葉に特に心が惹かれるでしょうか。
あなたが、今週取り組むべき「つ」は何でしょうか。
この話を聞いて、自分はもっとこの部分に集中して取り組みたいという思いが与えられた人もいるかもしれません。または、もっとこうしたら良いのではないかというアイデアが与えられた人もいるでしょう。
今日は、多くのことを一度にお話ししましたので、少し消化しきれない部分があるかもしれません。
今はまだ、今後のビジョンを主に聴きながら練り上げている最中です。
ですから、ぜひ、みんなで、神様の導きを求めていきたいと思います。
ビジョン礼拝の応答用紙を通して、皆さんの声を聞かせていただけると助かります。
神様が、さらに明確にいくべき道を示してくださると信じます。
神様が私たちを用いる理由は、私たちの能力ではなく、主の一方的な恵みです。
しかし、その恵みに応答することは、私たちに与えられた特権なのです。
具体的に、どのように神の計画に参加できるのか、ぜひ祈りながら考えてみてください。
最後に、もう一度今年の御言葉を皆さんでお読みしたいと思います。
しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。
イザヤ書 32章15節
主に期待して、私たちも、今日、りんごの木を植えていきたいと思います。
ビジョン礼拝の応答に関して
こちらのページから「応答の手引き」と「応答用紙」をダウンロードすることができます。
また「応答フォーム」を用いて応答することもできます。