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2023年8月20日 テモテの生涯から学ぶ(2)〜年が若くても〜

2023年8月20日 テモテの生涯から学ぶ(2)〜年が若くても〜
テモテへの手紙 第一 4章12~16節 佐藤賢二 牧師

先週から「テモテの生涯から学ぶ」というテーマで御言葉を学んでいます。今日のサブタイトルは、「年が若くても」とさせて頂きました。先週も少し触れましたが、私たちの教会には、本当に素晴らしい若者たちがたくさんいます。みんな、心から主を愛し、自分のためではなく、子供達のために、まだ救われていない魂のために、全力で仕えてくれているんです。

先日までユースキャンプが行われていましたが、そこでも力の限り仕えているスタッフたちの姿がありました。また、それに触発されて、主にある喜びの中で思いっきり神様を誉め讃える中高生たちの姿を見て、感動でした。中には、東北宣教ツアー、ヒーローアドベンチャーキャンプ、そしてこのユースキャンプと連続で仕えてくれた人もいて、実際に体調を崩してしまったり、困難なことも色々あったのですが、それをお互いに補い合ったり、助け合ったりして、大きく成長する機会ともなったと思います。皆さんの背後のお祈り、特に若者たちのために教会全体で支えてくださっていることを心から感謝いたします。

今私たちが見ているテモテという人物は、若くして信仰を持ち、そしてまだ若いうちからパウロの元で宣教に関わってきた人物です。そして、様々な経験を積んだ後に、最終的にはパウロによってエペソの教会のリーダーとして任命されました。今日は、そんなテモテに対して、パウロが送った手紙に込められたメッセージを共に聞いていきたいと思います。それでは、まず今日の御言葉をお読みしたいと思います。

第1テモテ4:12-16です。

あなたは、年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。むしろ、ことば、態度、愛、信仰、純潔において信者の模範となりなさい。私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある賜物を軽んじてはいけません。これらのことに心を砕き、ひたすら励みなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身にも、教えることにも、よく気をつけなさい。働きをあくまでも続けなさい。そうすれば、自分自身と、あなたの教えを聞く人たちとを、救うことになるのです。
テモテへの手紙 第一 4章12~16節

ここで、パウロはテモテに「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい」と命じています。ということはつまり、実際にテモテが、年が若いからという理由で、軽く見られるような状況がそこにあったのだということです。そこには、エペソ教会自体の問題と、テモテ自身の問題とがあったように思います。まずエペソ教会の問題を見てみましょう。

1. エペソ教会の問題

この時のエペソ教会の一番の問題は、偽教師が入り込んで教会を混乱させているということでした。第1テモテ1:3-7をお読みします。

私がマケドニアに行くときに言ったように、あなたはエペソにとどまり、ある人たちが違った教えを説いたり、果てしない作り話と系図に心を寄せたりしないように命じなさい。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、神に委ねられた信仰の務めを実現させることにはなりません。この命令が目指す目標は、きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛です。ある人たちはこれらのものを見失い、むなしい議論に迷い込み、律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることも、確信をもって主張している事柄についても理解していません。
テモテへの手紙 第一 1章3~7節

当時のエペソ教会の人たちは、偽教師たちの影響で「果てしない作り話や系図に心を奪われ」、むなしい議論ばかりしていました。その結果彼らは、教会という共同体の本来の目標である、「きよい心と、健全な良心と、偽りのない信仰から生まれる愛」をすっかり見失ってしまっていたというのです。

テモテへの手紙第一を見てみると、このような「間違った教え」が、教会に様々な悪影響を与えていたことが分かります。偽教師たちは、結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりしていて、神の定めた秩序を壊していました。男たちは、頻繁に怒ったり言い争ったりするようになっていました。また女の人たちは、派手な服で着飾って間違った教えを言いふらすようになっていました。そして彼女たちはさらに、貧しいやもめを助けるようにと設けられた支援のための制度を悪用し、その結果、本来助けるべき人たちを十分に助けることが出来ないような状況が生じていました。与えられているものに感謝できず、金銭を愛し、金持ちになりたがる人がいて、それがあらゆる諸悪の根源となっていました。そして、何よりも信仰から離れていく人たちもいました。

テモテの使命は、そんな彼らに「神の家族」としての教会のあり方を命じ、彼らが信仰によってしっかりと建てあげられるように導くことでした。パウロはテモテに対し、具体的に次のようなことを命じるようにと指示を出しています。

第1に、教会がすべての人のために祈るようになること。
第2に、よく家庭を治める人格者の中から、教会のリーダーや執事を任命すること。
第3に、本当に困っている人たちを助けることができるようにすること
です。

テモテは、エペソの人たちにこれらをしっかりと命じる必要がありました。しかし、今まで見てきたように、エペソ教会の人たちは、偽教師の教えに翻弄されて、信仰が育っていませんでした。ですから、若いテモテの言葉に耳を傾けられるだけの謙遜さが欠けていたのです。それで、エペソの人たちは、テモテが「年が若いからといって、軽く見て」しまっていたと考えられます。

私たちは、どうでしょうか。若いリーダーの声に耳を傾けることが出来ているでしょうか。
私は、その点において、本郷台キリスト教会の皆さんは、本当に謙遜な方ばかりだなと思うのです。何よりも、よく祈る教会であるということ。そして、自分の家庭を大切にし、託された働きを忠実に行う働き人であるということ。また、困っている人に目を向けて、率先して犠牲を払って手助けをしておられるということ。そういう素晴らしい文化が、この教会にはあります。

そういう謙遜な皆さんだからこそ、若いリーダーに対しても、へりくだって聞き従う姿勢を持っていることがよく分かります。そして、それによって神の家族としての秩序が保たれ、次の若いリーダーたちを育てることが出来る環境を作ってくださっている。そのことに心から感謝を申し上げます。

2. テモテ自身の問題

テモテが「年が若いからといって、軽く見られていた」のには、テモテ自身の問題もあります。もちろん、まだ実際に若かったということもあるでしょう。でも、テモテは忠実に仕える働き人である一方で、いざリーダーとして立とうとすると、「自分はまだ年が若いから」と自信がなくなり、必要以上に「若く振る舞って」しまう傾向があったようです。これは、テモテ自身の性格によるものと、テモテが通ってきた経験から来るものがあると思います。

テモテ自身の性格というのは、いろいろな所から垣間見ることができます。例えば、第2テモテ1:7にはこのようにあります。

神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
テモテへの手紙 第二 1章7節

このように言われているということは、テモテがともすると臆病になってしまう傾向があることを示唆しています。また、第1テモテ5:23には、このように書かれています。

これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい。
テモテへの手紙 第一 5章23節

これを見ると、テモテは胃が弱く、たびたび病気になっていたことが分かります。皆さん経験あるでしょうか。ストレスで胃が痛くなる。私はしょっちゅうあります。胃が弱いっていうことは、テモテが内向的で、ストレスを溜め込んでしまうような人だったのではないかと思うのです。

また、経験から来るものというのは、過去の失敗から来る恐れのことです。
テモテは、若くしてパウロに見出されました。そして、その熱心さや忠実さからパウロの信頼を勝ち得て、様々な教会に派遣されて仕えてきました。テモテは、パウロの第2次宣教旅行中に同行するようになりましたが、その数ヶ月後には、パウロの代わりにデルベに残って教会の土台を建てあげるという任務をしっかりと成し遂げました。また、それだけでなく迫害下の中にあったテサロニケの教会に派遣されて、彼らがしっかりと信仰を保っている様子をパウロに伝えるなど、パウロの牧会上なくてはならない右腕として活躍していました。テモテはその後、第3次宣教旅行にも同行し、その途中、分裂や道徳的な乱れなど、問題の多かったコリントの教会に派遣されます。第1コリント4:16-17にはこのように書かれています。

ですから、あなたがたに勧めます。私に倣う者となってください。そのために、私はあなたがたのところにテモテを送りました。テモテは、私が愛する、主にあって忠実な子です。彼は、あらゆるところのあらゆる教会で私が教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。
コリント人への手紙 第一 4章16~17節

パウロは、コリントの人たちに「私にならう者になってください」と言った上で、「彼は私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう」と、テモテが問題解決をすることを期待して送り出しました。しかし実は、テモテはこのパウロの期待にほとんど応えることが出来なかったのです。彼は、コリントではあまり大きな成果を得ることができず、パウロのものとに帰って来てしまったのです。コリントの教会の問題というのは非常に難しく、まだ若くて線の細いテモテは、彼らをうまく導くことが出来ませんでした。その後、結局コリントの教会には、パウロ自身も訪問し、テモテよりも年長のテトスが遣わされ、そこにあった難しい問題は解決へと向かっていきました。

このことは、テモテにとって大きな挫折になったのではないかと思うのです。まだ若いテモテは、コリントの教会の人たちに、まだ若いからといって、軽く見られてしまったのではないか。それが彼の傷となり、人々の間にある問題に踏み込んでいくことに対して、自信をなくし、臆病になってしまったのではないか。そのように思うのです。

そこからしばらくの間、パウロがテモテを何処かに遣わすという記述は見られなくなります。それでもテモテは、忍耐強くパウロの宣教についていく忠実さがありました。そして、ローマの獄中ではずっとパウロと一緒に過ごし、ともに諸教会のために祈り、手紙を書き、パウロと思いを共有していきました。

だからこそパウロは、テモテの弱さを知りつつも、あえてエペソ教会のリーダーとして立たせたのではないかと思うのです。テモテがコリントで失敗してから、もう10年近く経っていました。今こそ、テモテがその弱さを打ち破って、成長する時だ。もちろんそこには実際に解決しなければならないエペソの教会の問題がある。でも、その問題をテモテに取り扱わせることを通して、テモテ自身も成長するようにと願っていたのではないかと思うのです。

このような記述を見ると、私はとってもテモテに親近感を覚えるのです。私自身は、もう「年が若いから」などという言い訳ができるような年齢ではありません。にも関わらず、私はいつも自信がなくて、臆病で、胃が痛くなってしまい、悪い意味で若く振る舞ってしまうような所があります。いまだにそうです。過去にうまくいかなかった経験を引っ張り出してきて、いまだに恐れているような所もあります。でも神様は、そして私の牧者たちは、私が次のステップに進めるようにと、祈りをもって私を訓練してくださっている。そのことを、ひしひしと感じるのです。ですから、この「年が若いからといって」という言い訳は、単に実年齢のことを言っている訳ではないように思うのです。これは、私たちの心の持ち方の問題です。

皆さんはどうでしょうか。どんなに歳を重ねても、あるいは高齢になったとしても、「まだまだ自分なんて」と言って、主の導きから逃げてばかりいるということもあります。ですから、この命令は、私たちすべてに向けられたものだと考えることが出来ます。

3. 年が若くても、軽く見られないように

「年が若いからといって、軽く見られないようにしなさい」そのためにどうしたら良いのでしょうか。この箇所から3つのポイントで見ていきたいと思います。

(1)模範となるように生きる

第1のことは、「模範となるように生きる」ということです。第1テモテ4:12をお読みします。

あなたは、年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。むしろ、ことば、態度、愛、信仰、純潔において信者の模範となりなさい。
テモテへの手紙 第一 4章12節

「模範となるように」というのは、完璧でありなさいということではありません。そうではなく、自分自身の生き方自体がメッセージとなるように生きなさいということです。

まず、前半の「ことばや態度」というのは、私たちが意識して選び取ることが出来るものです。これは、信仰に根ざした「ことばや態度」を選び取っていきなさいということだと思います。そのような言葉遣いや態度を選び取っていくと、自分自身がその告白や態度の通りに成長していくことが出来ます。

後半の「愛、信仰、純潔」というのは、むしろ内面に属することです。私たちが、見せかけではなく、本当に大切にすべきものを大切にしていくという姿勢を持つことで、それが表にも現れるようになり、結果として信者の模範となっていくことが出来るのです。

「自分の生き方自体がメッセージになるように」と考える時、私たちはどうしても自分のマイナスの部分と向き合っていかなければなりません。うまくいかない時に、困難にぶち当たった時に、自分が嫌だなと感じる状況に置かれた時に、どのようなことばや態度を選択するのか。そしてそのような中でこそ働かれる神様を体験し、証ししていくこと。それこそが、本当のメッセージだと思うのです。

(2)召された働きに、ひたすら励む

第2番目のことは、「召された働きに、ひたすら励む」ということです。第1テモテ4:13-15をお読みします。

私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある賜物を軽んじてはいけません。これらのことに心を砕き、ひたすら励みなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。
テモテへの手紙 第一 4章13~15節

テモテはエペソ教会のリーダーとして、按手を受け、召されました。私たちも、神様の計画と信任によって、それぞれの働きに召されています。時々、私たちは、「あの時、こんな決断をしたけど、あれは本当に良かったんだろうか」とか、「自分は神様に応答して、この働きに導かれてきたけど、あれは間違いだったのではないだろうか」などと不安に思うことがあります。でも、今自分がうまくいかないからといって、また思いがついて行かないからといって、それが間違いだった訳ではありません。むしろ、それは神様の計画の中で、絶対に必要なものだったのです。

「按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある賜物を軽んじてはいけません」とあります。神様は、あなたに必要な賜物をすでに備えてくださっているのに、あなたの側でそれが不十分だと言ってはならないのです。ですから、どんなにそれが自分の意思による導きでなかったとしても、あるいは逆に自分の思いが先走ってしまったように思う決断だったとしても、その背後にそれを許された神様がいることを信じていく必要があります。簡単にあきらめないで、召された働きに心を砕き、ひたすらにそれに励むこと。その中で、神様は必ず必要な訓練を受けさせ、道を開いてくださるのです。

(3)まず自分自身が教えられる者となる

第3番目のことは、「まず自分自身が教えられる者となる」ということです。第1テモテ4:16をお読みします。

自分自身にも、教えることにも、よく気をつけなさい。働きをあくまでも続けなさい。そうすれば、自分自身と、あなたの教えを聞く人たちとを、救うことになるのです。
テモテへの手紙 第一 4章16節

何かを教えるという立場になった時、まずそのメッセージが向けられるべきなのは自分自身です。そうでなければ、その教えが本当に生きたものとはなりません。これは、私が毎週メッセージを語る中で、毎回思わされていることでもあります。自分は、このメッセージを語るに相応しくないと、何度も思わされています。でも、教えるという立場に立つ時の1番の恵みは、むしろそこにあると思うのです。

今、私たちは10×10の実現を信じ、祈り、取り組んでいます。今の10倍の人が一気にここに押し寄せてきた時、今ここにいるあなたも、確実にその中で彼らを牧するリーダーとしての役割が求められると思います。その時、自分はまだ若いからとか、自分はまだ信仰的に未熟だからとか、そういう言い訳はできなくなります。「年が若いから」というのは、私たちの人格や経験に植え付けられた呪縛である可能性があります。

今、私たちは、たとえどんなに臆病な性格だったとしても、たとえどんなに身体的な弱さがあったとしても、たとえ過去にどんなに失敗して傷ついた経験があったとしても、心を定めて、信者の模範となるように生きる生き方を選んでいくことが出来ます。召された働きに、ひたすら励むことが出来ます。そして、自分自身がまず第一に教えられる者となることが出来ます。

今、主が私たちを取り扱ってくださることを信じて、またその壁を打ち砕いてくださることを信じて、自分自身を差し出して行こうではありませんか。お祈りをいたしましょう。

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