お知らせ
9月 巻頭言「Evangelism(福音宣教)とMission(伝道活動)」
毎日のみことば9月号巻頭言
主任牧師 池田恵賜
先日、関東学院との懇談会で松田学院長が「これからの福音宣教像」(B. C. ジョンスン著、吉田信夫訳、日本基督教団出版局1996年)の本を引用されて、Evangelismエバンジェリズム(福音宣教)と、Missionミッション(伝道活動)というお話をしてくださいました。その本の中でジョンスンは、エバンジェリズムを「福音を伝え人々を救いに導く狭義の意味での伝道活動」、ミッションを「伝道地でなされる教育や医療、福祉活動などの広い意味での伝道活動全般」と位置づけ、この二つを混同させないこと、そしていずれかに偏るのではなく両者をしっかりと有機的な関係に置くことが重要なのだと語っているそうです。
これを図にするとこのようになります。(図1)
この図を見たときに、私はこのような関係性を持たせることができると思いました。(図2)
この内向き矢印は、福音宣教に触れたことのない人々が「伝道活動」によってキリストに近づけられ、「福音宣教」によってキリストを信じ受け入れるようになっていくことを表しています。そしてキリストを信じた者は、今度は外向きの矢印に表されるように、福音を伝える者としてミッションフィールドに遣わされていくようになるのです。
本郷台キリスト教会は20年にわたり、地域の人たちの必要に応える働きとして関連団体を立ち上げ、保育園、チャーチスクール(フリースクール)、サッカースクール、学童保育、障がいを抱えた方々のための地域作業所、デイサービス、訪問介護などの働きをしています。これはジョンスンの言うところの広義の意味での「ミッション(伝道活動)」と言えるでしょう。
このミッションを通して出会う方たちが、いかに福音に触れ、信仰をもつことができるのかが教会としての課題です。
私は常々、関連団体の職員には「この働きを通して出会う人たちがイエス様を信じても信じなくても私たちのすることに変わりはありません。私たちが働く場は、神の愛を受けた私たちが神の愛を実践する場です」と言って、関連団体の働きが紐付きの伝道活動にならないように伝えています。
しかし一方で、この働きを通して出会う一人一人が神様の愛に出会い、十字架のもとに重荷をおろせるようにと切に祈らされてもいるのです。
やはりエバンジェリズムとしての「福音宣教」は、教会を通してなされる必要があります。教会のミニストリーや牧会ファミリーを中心に関連団体の利用者やその家族が気軽に加われる活動、それぞれのニーズに合ったサークルや自助グループ、講演会などを開くとき、関連団体の働きを通して出会った人たちとの接点ができ、福音を伝えることができます。
ジョンスン流に言うなら、「福音宣教」にこそ人々を変える力があるのです。そして、それは「伝道活動」と密接に関わっているのです。みことばには、このようにあります。
飢えた者に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、あなたの光は闇の中に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる。 イザヤ58:10
飢えた者に心を配り、苦しむ者の願いを満たすのは、キリスト者の集まりである教会のすべきことです。教会が地域の人々の必要に応え、福音を明確に語るとき、闇は消え光を輝かせることができるのです。これこそ健全な教会のあるべき姿です。私たちに与えられた光を輝かせていきましょう。