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2024年6月23日 教会とは③

2024年6月23日 教会とは③
使徒の働き11章19〜21節 池田恵賜 主任牧師

メッセージを読む

ここまで2週にわたって、使徒の働きを通して「教会とは」をテーマに考えてきました。先々週は、使徒の働きがペテロやパウロの生涯を記すことではなく、「福音と宣教」が中心テーマであること、イエス・キリストの復活によって完成した福音のメッセージは変わることなく、人から人へと受け継がれて広がってきたということ、その背後には聖霊の存在があったということをお話ししました。

そして先週は、聖霊は福音を広げる力となること、そのために私たちは聖霊に満たされる必要があることをお話しました。

受け継がれる福音

さて今日は「受け継がれる福音」ということに焦点を当てていきましょう。福音のメッセージはイエス・キリストから始まり、ペテロを始めとする十二使徒に受け継がれ、さらにパウロへと受け継がれていきました。十二使徒はイエス様とともに過ごしましたが、パウロはそうではありません。しかし、神様は十二使徒が活躍している間にパウロを選び、異邦人への使徒として福音のメッセージを委ねられたのです。

ここにとても大きな神からのメッセージがあります。かつてユダの代わりとなる十二使徒を選ぶときに、ペテロは「私たちとともにイエスと過ごした人物の中から復活の証人を選ぶ必要がある」と訴えました。そのときマッテヤが選ばれました。しかしパウロはそのときの条件に該当しません。そのような人物が十二使徒の存命中に異邦人に福音を伝える人物として選ばれたのです。しかも新約聖書の大半は彼を通して書かれたのです。

これは使徒としての権威が受け継がれるということではなく、神は神が用いようとされる者を選び、訓練されるということの表れです。パウロが選ばれ用いられたというのは、権威や伝統が受け継がれるのではないということの1つの大きな証しです。

みなさんご存じのように、パウロは元々「サウロ」と呼ばれイエス様の弟子たちを迫害する側の人間でした。今日はこのパウロについて詳しく見ていきましょう。ややこしくなるので、呼び方はパウロで統一したいと思います。なぜ神様はパウロのような人物を選び、福音のメッセージを託されたのか、どのようにパウロは取り扱われていったのか、彼に影響を与えた4人の人物から見ていきましょう。

パリサイ派指導者ガマリエル

まず、最初にパウロに大きな影響を与えた人物は、パリサイ派の指導者ガマリエルです。パウロ自身がこのように証ししています。使徒22:3です。

私は、キリキアのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。”使徒22:3

新約時代ユダヤを導いていた二大勢力はサドカイ派とパリサイ派です。サドカイ派は大祭司など祭司を輩出し、ユダヤを政治的に導いていたエリート層のグループです。一方、パリサイ派は主に中流階級の庶民に律法を説いていたグループです。パウロは、このパリサイ派の中でも厳格に律法に従うグループに属していました。

さて、このパリサイ派指導者のガマリエルですが、一度ペテロとヨハネの命を救っています。先週、使徒5章からペテロたちが2回目に最高法院に呼ばれたという話をしました。そのとき彼らは「人に従うより神に従うべきだ。私たちも、聖霊もイエスがよみがえられたことの証人だ」と証言したことを見ました。その後、それを聞いていた人たちはペテロたちを殺そうとしますが、それを止めたのがガマリエルだったのです。先週読んだ使徒5章のペテロの証言の続きから読んでみましょう。使徒5:33-40です。

“これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。ところが、民全体に尊敬されている律法の教師で、ガマリエルというパリサイ人が議場に立ち、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、それから議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん、この者たちをどう扱うか、よく気をつけてください。先ごろテウダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどになりました。しかし彼は殺され、従った者たちはみな散らされて、跡形もなくなりました。彼の後、住民登録の時に、ガリラヤ人のユダが立ち上がり、民をそそのかして反乱を起こしましたが、彼も滅び、彼に従った者たちもみな散らされてしまいました。そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」議員たちは彼の意見に従い、使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した。”使徒5:33-40

ガマリエルの提案によってペテロたちは釈放されています。実際に、次に最高法院に引き出されたステパノは殺されていますので、もしこのときガマリエルが止めなければペテロや使徒たちは殺されていたかもしれません。そのような意味で、ガマリエルは神に用いられたのです。

そして、このような良識をもった師匠のもとでパウロは育てられたのです。さらにガマリエルはとても優れた律法学者でした。彼のもとでパウロは旧約聖書を中心とした、いわゆる律法を学んだのです。パウロがダマスコ途上でイエスと出会う経験をしたとき、旧約聖書が指し示していた人物がイエス・キリストだと分かり、パウロの中ですべてが繋がったのです。彼は一瞬で迫害者から伝道者へと変えらました。その基礎を育てたのがガマリエルだったのです。

ステパノ

しかしパウロが変えられるために用いられたのはガマリエルだけではありません。直接的な繋がりはなかったものの、ステパノもまたパウロの取り扱いという意味で重要な役割を果たしています。パウロはステパノのことをこのように振り返っています。使徒22:17-21です。

“それから私がエルサレムに帰り、宮で祈っていたとき、私は夢心地になりました。そして主を見たのです。主は私にこう語られました。『早く、急いでエルサレムを離れなさい。わたしについてあなたがする証しを、人々は受け入れないから。』そこで私は答えました。『主よ。この私が会堂ごとに、あなたを信じる者たちを牢に入れたり、むちで打ったりしていたのを、彼らは知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私自身もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの上着の番をしていたのです。』すると主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。」”

「救われたパウロの証しをエルサレムの人々は受け入れない」と聞いたとき、パウロは「それは当然です。私はステパノの死に賛成し、それを実行した人たちの上着の番をしていたのです」と言っています。「私はクリスチャンたちに受け入れられなくて当然。それだけのことをしてしまったのだから」と告白し、ステパノの一件はパウロにとって、彼の伝道者人生にとって拭うことのできない大きな痛みとなっていたことが分かります。

しかし、そんなパウロに神様は語るのです。「行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす」と。「あなたはユダヤ人に遣わされるのではない。あなたには別の使命がある」と、神様は言われたのです。ステパノの一件はパウロにとって痛みでした。しかし、その痛みさえも神は次のステップに向かう一歩として用いられたのです。私たちは罪を犯したら、それを拭い去ることのできない傷と捉えてしまいますが、神にとってはそうではありません。

きっとパウロはこのことについて、とことん神の前に出て、自分の罪と向き合い祈ったことでしょう。このように考えると、ステパノの最後の祈りを「誰が」聞いて、使徒の働きの著者であるルカに伝えたのかがとても重要です。私は、ステパノの最後の祈りをルカに伝えたのは「パウロ」だと思うのです。とことん神の前に出て悔い改めたパウロが行き着いた場所。それが「ステパノの最後のとりなしの祈り」だったと思うのです。使徒7:60です。

そして、(ステパノは)ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。”使徒7:60

「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」、「主よ、この罪をパウロに負わせないでください」。このステパノの最後の祈りが自分に向けられたものだと気づいたとき、パウロは立ち上がれたのではないかと思うのです。そして、いまパウロに与えられた異邦人宣教の使命はパウロひとりだけのものではなく「ステパノの思いも背負っているのだ」と、パウロは感じたのではないかと思うのです。私たちも同じように、イエス様からのとりなしの祈りを受けた者です。その祈りが、私に向けられたものであると気づいた時に、私たちは過去の痛みから解き放たれて、神の使命に生きることができるのです。

アナニア

次に用いられたのはアナニアです。使徒22:6-16を読んでみましょう。

“私が道を進んで、真昼ごろダマスコの近くまで来たとき、突然、天からのまばゆい光が私の周りを照らしました。私は地に倒れ、私に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。』私が答えて、『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、その方は私に言われました。『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。』一緒にいた人たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。私が『主よ、私はどうしたらよいでしょうか』と尋ねると、主は私に言われました。『起き上がって、ダマスコに行きなさい。あなたが行うように定められているすべてのことが、そこであなたに告げられる』と。私はその光の輝きのために目が見えなくなっていたので、一緒にいた人たちに手を引いてもらって、ダマスコに入りました。すると、律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い、アナニアという人が、私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ、再び見えるようになりなさい』と言いました。するとそのとき、私はその人が見えるようになりました。彼はこう言いました。『私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』”使徒22:6-16

アナニアは、聖書の中でこのときにしか出てこない人物ですが、わずかな記事ながら主に忠実な器であったことをうかがい知ることができます。この忠実な器がパウロの決定的な回心の瞬間に用いられたのです。この2人が経験したことから教えられるのは、先のことが分からなくても、目の前に示された神のみこころに忠実に従うということです。一歩進むと次の一歩がひらかれるのです。

バルナバ

この出来事の後、パウロの取り扱いのために用いられた人物はバルナバです。バルナバが最初に登場するのは使徒4:36-37です。

キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。”使徒4:36-37

ペテロとヨハネが「美しの門」で足の不自由な人を癒やしたことから起こった騒動の後、聖霊が下ったときにバルナバが初めて登場します。これがバルナバの献身のときでした。バルナバもまた最初からの弟子ではなく、後から加わった人物だったのです。しかし、このバルナバが回心したばかりのパウロを導くことになるのです。使徒9:26-28です。

エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。”使徒9:26-28

その後、ユダヤ人たちによるパウロの殺害計画が明らかになり、パウロは生まれ故郷のタルソへ逃げます。何年もたってバルナバがアンティオキアに派遣されますが、そのときに彼はパウロを捜しにそこから100km以上離れたタルソへ向かいます。そして彼を見つけて連れ帰り、その後ともにアンティオキア教会で仕えるようになります。使徒11:22b-26です。

彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。”使徒11:22-26

バルナバから教えられるのは、相手の良い点を見出して、励ますということです。生まれ故郷のタルソに退いていたパウロを励まし表舞台に引き出したのはバルナバでした。バルナバは聖霊と信仰に満ちている人であったと書かれています。私たちも聖霊に満たされて人々を励ます者でありたいと思います。

さて、ここまでパウロという人物が建て上がるまでに用いられた4人の人物について見てきました。私たちの中にも、いずれパウロのような働きをする人物がいるかもしれません。また今はクリスチャンを迫害するような人物だけれど、パウロのように変えられる人がいるかもしれません。現状を見て先のことを決めてしまうのではなく、聖霊の導きにいつも耳を傾け、従う者でありたいと願います。そうするときに、ある人はアナニアのように、またある人はステパノのように、またある人はバルナバのように用いられることでしょう。

アンティオキア教会

最後に使徒11:19-21を読みましょう。

さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。”使徒11:19-21

このときまで福音宣教の中心はエルサレム教会でした。しかし、このあと異邦人宣教において用いられたのはアンティオキア教会です。この教会が建て上がったきっかけはステパノのことから起きた迫害でした。エルサレムから逃げてきたクリスチャンたちが伝道したことにより誕生した初めての異邦人教会です。そして、この教会を通して福音はさらに世界に広げられていったのです。

私たちもどのような状況でも福音のメッセージを受け継いで語る者でありたいと願います。福音はそのようにして受け継がれてきたのですから。

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