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2024年6月30日 教会とは④
2024年6月30日 教会とは④
使徒の働き12章1〜5節 池田恵賜 主任牧師
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2024年6月30日 教会とは④
使徒の働き12章1〜5節 池田恵賜 主任牧師
「教会とは」をテーマに使徒の働きから見ています。使徒の働きには、初代教会誕生の様子から、教会が発展していく様子まで詳細に描かれています。使徒の働きを読むと、教会にどのような人たちが集い、どのような働きをして、どのように広がっていったかが分かります。しかし、初代教会の歩みは決して順風満帆というわけではありませんでした。初代教会は迫害を受け、たくさんの困難、苦しみも通ったのです。
「イエス・キリストの十字架による救い」という偉大な計画を成し遂げてくださった神様が、イエス様が天に戻られた後のことをご計画されていないハズがありません。神様は弟子たちの弱さも分かった上で教会に対するご計画を進めていたはずです。ですから、初代教会の通った苦しみや迫害の中にも、きっと神様の深いご計画があったことでしょう。私たちはそのような初代教会の歩みを通して、神様が望んでおられる教会の在り方や、教会の使命といったものを見出すことができるのです。
「教会と祈り」
今日は「教会と祈り」ということに焦点を当てて見ていきましょう。まず使徒12:1-5を読んでみましょう。
“そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。”
ここで教会は大きな困難に直面しました。エルサレム教会のリーダーであったヤコブが殺され、ペテロも捕らえられてしまったのです。「教会は彼のために熱心に祈った」と書かれています。当然です。ヤコブに続きペテロも失ってしまったら、生まれたばかりの教会は立ち行かなくなってしまいます。何よりもペテロの身を案じて多くの人たちが集まって来て、熱心に祈りをささげていたに違いありません。
迫害を受けてきた教会
しかし、このような迫害が突然起こったのかというと、そうではありません。教会はそれまでにも数々の困難を通ってきたのです。すでに見てきたように、使徒4章でペテロとヨハネは「美しの門」で足の不自由な男性を癒やしたことからユダヤの最高法院に引き出され尋問されています。
さらに使徒5章でペテロたちは再び最高法院の場に立たせられます。尋問の後、「イエスの名によって語ってはならない」と、使徒たちはムチ打たれます。
その後、迫害はエスカレートし、ステパノが捕らえられ殺されてしまいます。ステパノは新約で初めての殉教者となります。さらに、ステパノの殉教に端を発し、迫害はエルサレム中に広がり、多くの信者がエルサレムから追われることになりました。
そして、先ほど読んだ使徒12章です。ヤコブが殺され、ペテロも捕らえられてしまったのです。このように次から次へと迫害が起こり、次第に激しさを増していったのです。
迫害の中でも福音を語り続ける弟子たち
しかし、弟子たちは迫害されてもイエス・キリストが完成させた福音を語るのを止めませんでした。福音を語ることによって迫害がひどくなっていく様子を見て「彼らのやり方は間違っている」、「もっとうまくやる方法があるのではないか」と考える人もいるかもしれません。
では弟子たちは間違った選択をしてしまったのでしょうか。迫害を避けて、福音を語るトーンを押さえた方が良かったのでしょうか。聖書を読むと決してそうではないことが分かります。
いくつかの理由をあげることができます。
1. 福音が広がった
第一の理由として、福音が広がったことが上げられます。確かに迫害はありましたが、それ以上に福音は広がっているのです。確認しておきましょう。まずペテロとヨハネが一回目に最高法院で尋問を受けた後です。使徒5:14です。
“そして、主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。”使徒5:14
主を信じる者がますます増えて大勢になったと記されています。次に、ペテロたちが二度目に最高法院で尋問された後には、このような様子が記されています。使徒6:7です。
“こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。”使徒6:7
福音はますます広がり、弟子の数が非常に増え、大勢の祭司たちも救われたというのです。祭司たちは、イエスの裁判で「イエスを十字架につけろ」と証言した側の人たちです。これは驚くべきことです。そして、ステパノが殉教し、パウロが救われた後のこととして、このように書かれています。使徒9:31です。
“こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。”
福音を語り続けた教会はますます広がり、救われる者たちが多く起こされたのです。そして使徒12章でヤコブが殺されるという迫害の後、使徒12:24にはこのように書かれています。
“神のことばはますます盛んになり、広まっていった。”使徒12:24
このように迫害の中、福音はそれに影響されることなく広がっている様子が分かります。ここから分かることは「迫害は福音が広がらない理由にはならない」ということです。私たちは迫害があることと、福音が広がらないことは別の問題であるということを認識する必要があります。
では、福音が広がらないという場合、その原因はどこにあるのでしょうか。それについてはメッセージの最後に触れたいと思います。
2. 弟子たちは迫害を受け止めた
次に「迫害の中でも大胆に福音を語り続けた弟子たちが正しかった」ということは、迫害を受けた弟子たちの生き方から分かります。実際に、弟子たちが2回目に最高法院に引き出され、尋問され、ムチ打たれた後の様子が使徒5:40-42に記されています。
“使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した。使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。”使徒5:40-42
弟子たちは、福音を伝えて迫害に遭うことを、むしろ「御名のために辱められるに値する者とされた」と考え、喜んだというのです。なぜ困難に遭いながらも喜ぶことができたのでしょう。それは、弟子たちがイエス様からこのことばを聞いていたからだと思うのです。ヨハネ16:33を読みましょう。
“これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」”ヨハネ16:33
私たちクリスチャンはイエス・キリストに従う者です。この世に生きていますが神の国の民とされ、神のみこころに従って生きているのです。いまのこの罪の世の支配者はサタンです。ですから、クリスチャンがこの世で神のみこころに生きようとしたり、人々を救いに導いて神の国を広げようとしたりするならサタンは抵抗してくるのです。つまり、神に従う道を選んで困難に遭うというのは、神のみこころに生きている証拠なのです。だから弟子たちは迫害に対して腹を立てずに、むしろ神の道を歩んでいる証拠として受け止めて喜ぶことができたのです。
3. 弟子たちは聖霊に満たされた
「弟子たちが迫害の中でも大胆に福音を語り続けたことが正しかった」と言える3つ目の理由は、迫害の中でも弟子たちは聖霊に満たされたということです。迫害を受けていた弟子たちは決して無理をしていたわけではありません。彼らは迫害を乗り越える力を聖霊によって与えられていたのです。実際にペテロは大祭司たちを前に尋問されたとき聖霊に満たされて対応することができました。使徒4:8aです。
“そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。”使徒4:8
以前イエス様が捕らえられたときは、大祭司の家の庭にいた女の召使いさえ恐れて「イエスを知らない」と言ったペテロが、大祭司を前に実に堂々と証しをしたのです。さらにステパノも石打ちに遭っている最中に聖霊に満たされていたとの記述があります。
使徒7:55-56です。
“しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。”使徒7:55-56
このように迫害の中で弟子たちは聖霊に満たされたのです。神に従う決断をしたからこそ、彼らに聖霊が臨んでいたことは明らかです。私たちもどんなときも神のみこころに従う決断をし、御霊に満たされることを求めましょう。
福音が広がらない原因
先ほど「迫害は福音が広がらない理由にはならない」とお話ししました。では福音が広がらない原因はどこにあるのでしょうか。私はその原因は、私たちの外側ではなく、私たちの内側にあると思うのです。そのことを考えるために、神様がなぜ迫害が起こるのを許されているのか、その意味を考えてみましょう。
迫害を受けた教会はどうしたのか。そこに迫害を許される神の意図があると思うのです。そして、迫害を受けた教会は祈ったのです。使徒4:23-24aを読んでみましょう。これはペテロとヨハネが最初に最高法院に引かれて釈放されたときのことです。
“さて、釈放された二人は仲間のところに行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげた。”使徒4:23-24a
ペテロたちから報告を聞いた時、そこにいた人たちは心を一つにして神に向かって祈ったのです。どのような祈りをささげたのでしょうか。続く29-31節に書かれています。
“主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した”
私たちも福音を伝えようとして逆境に遭う時は、そのような中でも「神のことばを大胆に語らせてください。イエスの御名によって癒やしとしるしと不思議を行なわせてください」と神に求めて祈りましょう。「私を通して、この教会を通して、イエス・キリストの福音がこの国に、私の家族に、職場に、学校に広がるように」と祈りましょう。
ペテロはたくさんの失敗をし、イエス様からも教会からも熱心なとりなしの祈りを受け、やがて迫害の中でもしっかりと立つことができました。彼は誰よりも試練の中で祈ることの霊的な意味を知っている人物の一人です。その彼がペテロの手紙の中で、このように勧めています。Ⅰペテロ4:7、12-14です。
“万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。”Ⅰペテロ4:7、4:12-14
祈るために心も生活も整えることが大切です。私たちの祈りの生活がしっかりしているなら、そして神のみこころに従う生き方を選んでいるなら、むしろ試練のときこそ聖霊がともにいてくださることが分かるというのです。これはペテロの経験に基づく言葉でしょう。
教会は魂が新しく生み出される場です。子どもが生まれるとき両親や、関係する周りの方々は必死に母子の健康を祈るでしょう。同じように霊のいのちが新しく生み出されるために教会は日々熱心に祈る必要があるのです。
リバイバル祈祷週間「いのりば」9/29~10/5
私たち本郷台キリスト教会も、今から3ヶ月後の9月29日(日)から10月5日(土)までの1週間、毎日24時間のリバイバル祈祷会を行おうとしています。「祈り」と「リバイバル」をかけて「いのりば」という名称になりました。10×10の10年目、今年、神の霊がこの国に豊かに注がれるように、人々が救われ、この国に10倍の祝福が与えられるように熱心に祈りたいと思います。
1週間の連続した祈りの時。これはかつて「初週祈祷会」と呼ばれ、日本に初めに送られてきたプロテスタントの宣教師たちが行っていた祈り会です。1871年のクリスマスから72年の新年にかけて日本人の救いのために宣教師たちが集まり熱心に祈っていました。まだ禁教下で、クリスチャンになったら捕らえられ、殺されるかもしれないという時代です。しかし、日本のために熱心に祈っている姿は、宣教師たちから英語や西欧文化を学んでいた青年たちの心に火を点けました。
彼らはその祈祷会に加わり、そこで聖霊に触れられたのです。「自分たちも日本の旧暦での新年に合わせて、初週祈祷会をもちたい」と願い、祈祷会をもったそうです。そのときの祈り会の様子を宣教師がこのように母国に報告しています。
「集会は驚くほど盛んになり、何週間も続き2月末までにいたりました。1~2週間後、この国の歴史で初めてのことですが、彼らは祈祷会で膝をかがめて、感動しつつ、その顔は涙にぬれながら神に祈ったのです。神がかつて初代教会と、また使徒たちを取り巻く人々に御霊を賜ったように、日本にも御霊を与えてくださいと。これらの祈りは熱烈そのものでした」G.F.フルベッキ
「日本プロテスタント伝道史-明治初期諸教派の歩み(上)」
そして、この祈りの結果、1872年3月10日に日本最初のプロテスタント教会「日本基督公会」が誕生したのです。この教会は現在も「横浜海岸教会」として活動しています。
さらに1883年の日本各地に広がったリバイバルの起点となったのも、この1週間の「初週祈祷会」でした。バラ宣教師の悔い改めから始まって、リバイバルの火が日本全国に広がり3年間で日本のプロテスタント人口が4367人から10755人と倍増したのです。
私たちも10×10の10年目、この横浜から約束の10倍の祝福を求めて1週間の祈りの時をもちましょう。ぜひ、みなさん今から祈り備えていきましょう。教会は、いつどのような状況の中でも福音の光を輝かせ、宣教するために存在しているのです。この光が日本にますます輝いていくように、ともに祈っていきましょう。